なぜ生まれ変わりがあるのでしょうか?

なぜ、私達は生まれ変わるのでしょう?

QHHTのセッションの中で、時々、自分が根源たる存在と一緒であったという記憶が出てくることがあります。

その時の意識は、個ではなく、そこと溶け合った全体の一部、それそのものである至福の状態であることがほとんどです。
その瞬間は、ただ愛に、無条件の愛に包まれて、幸福で、その喜びに涙を流す人もいます。

時折、瞑想などを通して、そのような状態になることもあります。

本来の私たちはそのような創造主と一体の存在、ワンネスの世界に生きる存在であると思います。

では、なぜ、その完璧な至福の状態を離れて、生まれ変わるのでしょう?

ブライアン・ワイス博士のワークショップで聞いた説明をそのまま紹介しますが。

私たちは、地球という学校に、学びに来ている。

本来の私たちは美しく光り輝くダイヤモンドのようなものである。
私たちの魂はそれそのもので美しく光り輝いている。

でも、時折、その完全な状態を離れて、不完全な世界を経験したいというものが出てくる。
なぜなら、その世界で経験を積んで戻ってくる魂は、
魂自体ですでに美しいものではあるのだけれど
何かしら、別のさらなる美しさを手に入れて、別の輝きを持つから。

そして、魂そのものは最初からダイヤモンドのように美しい。
でも、その表面は汚れていて、一つの人生がダイアモンドのカットの一つであるように、一つの人生を経験すると、その部分の汚れが消えて、輝く。

何度も生まれ変わることは、ダイアモンドのカットのすべてを磨くようなものだ。
本当の美しさを取り戻すためのことなのだ。

そんな風に説明をされていました。

そして、ブルースさんの説明では(私の理解している要約です)。

私たちは、好奇心の旺盛な、魂の大元から打ち出された探査機のようなものである。

探査機は、Nasaのような魂の大元とつながっているが
旅を続けるうちに遠く離れてしまい
通信をすべて聞きとることができない。

そして、本来の目的、【宇宙を、世界を探索して、知ること】、すらも忘れて、行き先を見失い、漂っていることすらある。

魂の大元とつながるとき。
自分自身がそれと一つの存在であり、自分が、いずれはそこに戻るべき、そして、多くの体験をその場所に持ち帰るための存在であるということを思いだす。
そして、それを思い出した時、そこへと戻る旅が始まるのだ。

それぞれ別の詩的な表現でありますが、言いたいことは変わらないように思います。

私たちは、源から何かを経験するため、知るために離れて、転生を繰り返す。
その中で、自分自身が経験しようと思っていたこと、知りたいことを探求しようとする中で
道を迷ってしまったり、課題を増やしてしまったりすることもある
道を見つけるため、増えてしまった課題を果たすために転生をすることもあるし

最終的には、源に戻るための転生へと入ってゆく

そんな感じなのではないかと思うのです

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