母が倒れる前夜:2020年7月7日

2021年のグリーフケア・アドバイザー1級取得にあたり、私自身が2020年8月末に母の突然の死を経験し、そのグリーフを抱えたままであったということがありました。
2020年7月8日朝、ゴミ出しで外に出て、転倒し、頭蓋骨骨折とくも膜下出血で緊急搬送され、1か月半の闘病生活ののち、享年87歳で亡くなりました。
Covidー19下。
その記録と私自身の心の動き、私の周りで起こっていたことなどを記録しています
(アメブロにリアルタイムで公開した日記を修正、内容に手を加えたうえで投稿しています)

2020年7月7日

この週末は気持ち的に色々あった。
カタリ派の本を読みながら

(注)霊の生まれ変わり(アーサー・ガーデム著):
13世紀南仏の異端カタリ派の記憶をもつ女性と出会う事で、精神科医師アーサー・ガーダムは、この臨床例を調査した。
霊の生まれ変わりの事実を客観的に記述した本。
催眠療法という手法によらずにこの女性の記憶を史実に照らして実証していった面で興味深い本

土曜日は、自分は健康だという母を病院に連行。

結果的に、母の本心を聞く週末になったが
それが色々考えさせるのだ。

私の家庭のアレコレなので、ネガティブな内容も含むかとおもう。
そういうの嫌いな人は、読まなくていいとおもう。

母の話だが、もともと高血圧、糖尿病持ちだ
なのに、ここしばらく薬を飲んでいるのをみたことがないし、病院も行ってない。

認知症疑いはあるが、それ以外にも気になる部分がありありだ。

先週一杯、病院にゆくゆかないですったもんだして
姉が知り合いのクリニックに予約をいれて、強制的に連れ出した。

血液検査とMRIと診察を受けたが
MRIの際に、検査は受けたくないとか文句を言い出し、時間がかかり、その日予定していた認知のテストが受けられなかった。

しかし、受けた検査で判明した事実。

血糖値が、通常の4倍。

もしも、救急外来に来たら、即、入院を勧められるレベルで
意識に障害が出るレベル

糖尿病の薬を最低1ヶ月は飲んでない。

そして、古い脳梗塞のあとや動脈瘤があった。
(脳梗塞は数ヵ月前らしい)

しかし、本人は、自分はしごく健康でなにもないと言い張る。

結局、薬を貰い、それを飲ませたあとにどうなるのか、というので、来週に認知のテストをすることになった。
(注)この決定を後で家族全員が公開することになる

で。

ここからがさらに問題。

糖尿病の問題があるし
このまま放置したら、失明したり、指が腐るとかあるかもしれないし
血管が砂糖漬けな訳だから、脳の血管がいつ切れてもおかしくない

薬を飲んで少しでも正常な値に戻して行かないといけないが

薬を飲むのを嫌うのだ

スピリチュアルな人の中には、薬に対して、薬が医者がもうけるためにどうの、とか
陰謀論的なことから、敵視してる人がいるが

今死にそうな人間が、ある薬を使えば、当たり前に助かるというケースにまで、それを持ち込むのは科学的・論理的ではないとおもうのだ

薬は本来、何らかのからだの問題に対応されるために古代から試行錯誤され作り出されてきたという歴史があるとおもう

すべてを悪とするのではなく
西洋医学の薬は、必要なときに必要なものを、効果的な量で使う
そして、本来は、自然療法とかで健康を維持し、
薬がなくても生きて行けるのが理想だが、それが難しい危機的な状況があるならば使う
体を整え、健康を維持する、そういうコンビネーションを使うのでよいのだと私は思う

しかし、少なくとも今は糖尿病の薬を飲まなければ、倒れてもおかしくない

私が薬飲ませ係としてまとわりつくことになったのだが

認知のせいか
わざとか

薬を飲んだと、嘘をつく
薬をなくしたという(しかし、その辺にある)
なかなか飲まない

あげく、いった言葉が

『どうせ私はもうすぐ死ぬんだから、そんなの飲んでも変わらない』

は?
ですよ。

しかし、ちらっと漏れた言葉で、感じたことは

生きる目的、楽しみを見失っているのではないかとか

回りの人(叔母や叔父や友人)が亡くなったり、認知症になったり
新型コロナの話ばかりで、友人たちと毎週あっていたのが一切なくなり
そして、連日のTVの恐れをあおる報道に影響を受けたり
家からでなくなって体力が衰えてきたところに【死】とか【老い】というのを意識した

けれども、今までの人生のなかで

どう生きるのか
どう死の瞬間を迎えたいのか
自分にとっての死とはなんなのか

といった死生観を育まないで生きてきた
それが、あるとき、気がついたら、目の前に深く暗い断崖があった
的な感じなんじゃないかな、と思ったこと

母は無宗教だし
スピリチュアル的なことを毛嫌いしている
多分、死というのをすべての終わりのように思っているのだろう

最近亡くなった叔母は、突然の癌告知で、死を受け入れられないままなくなった。
(ほとんどの人には受け入れられないだろうと思う)

私自身は、体は終わっても、魂が続いて行くという考えだから
死ぬことを恐れてはいないし、いつ死んでも構わないと思っているから
叔母や母とは対局にあるんだろう

だけど、そういう私の考え方を押し付けることは私のエゴにすぎない

まあ、そんな時期にカタリ派の話を読んでいるのも、なにか関連しているのかもしれない。

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