今日は母の命日

今日はタイトルの通り、母の命日です。

ちょうど一年前、10時過ぎでしょうか
施設に入っていた母の容体が急変して、危ないという連絡が入り
遠方だったので数泊分の荷物を用意して、学校に行っていた子供たちを拾い
向かったのだけれど、夕方に到着した時にはすでに息を引き取った後でした

施設内の亡くなった方を安置する病室と居間が合わさったような特別な部屋に案内されて
葬儀場の施設に移るまでの間、そこでしばらく過ごしたのですが

あの一日のことを
それから、お葬式を済まして、その後、様々を片づけたり、そんな日々を振り返ったり。

あれから一年
一年以上の月日を過ごしたようにも感じますし

私の心の底の方には、まだ、母を失ったことによるグリーフがあって、気持ちが沈むことも時々あります。

なんだろう。
悲しい、というよりも。

何か自分の一部が無くなってしまったような
戻れない過去がせつないような

子供の頃のセピア色になってしまった思い出を振り返って
懐かしさと、遠くなってしまったと感じるような

それまでの自分には戻れないような
そんな感覚がずっとあるのです

それで、命日の今日、私は娘の高校のエントリーシートを提出しに一緒に出掛けておりました。
現在、中三なので、来年の進路に向けて、どうしてゆくのかという現実的に対応しなくてはいけないことであり。

自分のことはともかく、子供の進学に関しては
今、この時しかできない、決められないこともあるので
それはきっちりとしてゆかなくてはいけないというのがあります

実は、娘は不登校なのだけれど、昨年の母の死の後
不登校がさらに悪化し、難しい時期を過ごしたりもしていました

私が仕事で留守の時には、母が面倒を見ていたりしていて
その母が亡くなったことの本人のグリーフも大きかったし、周囲の人間(私や同居の叔母)のグリーフも影響をして
精神的にきつい時期であったというのがあるのです

それでも進路のことを考え
私が手伝いつつも自分で高校を決めるところまできた感じ

不登校の子供に対応できる高校を選んで、何校か見学に行き
今日、エントリーシートを出した学校に行くことを決めたというのがあります。

そんな風に、自分自身の将来を少しポジティブに思えるようになったことが進歩なのかもしれません

そして、今日、高校にエントリーシートを出す前に二人で、高校の近くの、ローマ出身のイタリア人シェフがオーナーのイタリアンでランチを食べてきたのですが

イタリアらしい店内、料理もイタリアらしい料理
私はイタリアに留学して、イタリア人と結婚しているし
日本でこんな風にイタリアらしさを感じるというのは、懐かしいような感じで
今後、娘がエントリーシートを出した高校に通うならば、在学期間中に何度かお邪魔するかもしれないと思ったりもしたのでした。

そして、母の思い出話になるのですが。

私の小さい頃
よく、三越、高島屋(日本橋)とか、西武(池袋)とか、連れていかれて
母はあれこれ見て楽しんだあと、お昼を、食堂で食べるのが好きでした

私は、お子さまランチで。

昭和50年代の、デパートのお子さまランチ、覚えてる人いるかな…。

富士山のライスに、日本の国旗がさしてあって
ナポリタンとか、エビフライとか、ハンバーグとか、プリンがついていた
そして、エプロンと、動物とかの模様のしたに敷くやつがあって

子供のロマンでありました

デパートの食堂に行かなくなっても
時々、母は

『みんなには内緒』

とかいって、ランチで、二人でちょいと良いものを食べたりしました

今日の娘とのランチもそんな感じなのかもしれない
なんて、感慨にふけって

母は、みんなに内緒とみんなにいって、こっそりそれぞれと食事したりしたんだろう

私も同じことを今やってる
なんて。

そして、そんなことを
私が死んだあとに、私の子供も思い出したりするんだろうな

親との秘密の時間、みたいのって
なんか、特別な思い出に変わったりするのかもしれません

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