龍鎮神社

初めて認識した母の死:2020年10月28日

2021年のグリーフケア・アドバイザー1級取得にあたり、私自身が2020年8月末に母の突然の死を経験し、そのグリーフを抱えたままであったということがありました。
2020年7月8日朝、ゴミ出しで外に出て、転倒し、頭蓋骨骨折とくも膜下出血で緊急搬送され、1か月半の闘病生活ののち、享年87歳で亡くなりました。
Covidー19下。
その記録と私自身の心の動き、私の周りで起こっていたことなどを記録しています
(アメブロにリアルタイムで公開した日記を修正、内容に手を加えたうえで投稿しています)

2020年10月28日初めて認識した母の死

母の葬儀から2か月ほどが経過しています。
その間、実家の姉の一人とは相変わらず断絶したまま。

母の死後の役場や各種事務手続きを比較的時間に余裕のある私が行うことになったのですが
子供二人の世話をしながら、なおかつ、この間にブルース・モーエン・メソッドのワークショップを開催したりと
日々、忙しく過ごしていました。

そして、10月に大阪でブルース・モーエン・メソッドを開催する用事があったことと
私はほとんど面識がない、腹違いの姉というのが大阪に住んでいて、遺産相続のことでその姉に会う必要があり
大阪へ行くことがありました。

用事をすべて終えた後、自分自身の気分転換のため、日帰りで奈良の室生寺や龍鎮神社を回った時のことです。

その時まで特に意識はしていなかったのですが
母の死後、周囲に家族もいない状態だったことはほとんどなかったし
家族がいなくても仕事でどなたかとお会いする状態でありましたので
まとまった時間、数日、特にすることもなく一人きりになったのはその時が初めてだったのです

家にいれば、雑事があり、子供がいつもいる
なにかとやることがあって
会話をする相手もいます

Covidー19で今のような状態になる前は、私は時々海外に出て
一人で何週間もさ迷うことがありました

それに近い状態になったのかもしれません

そういうときは、自分の心の内面に降りて行くことになるのですが

一人になってここ数日、母のことを思い出していて

それで、自分のうちで悟ったことがありました

その時まで、私は

母が死んだことを悲しいとは思わない

と思っていたのですが

悲しいと思わないのは

母がいなくなったと感じていない、腑に落ちていないからだ

ということ

私の意識の片隅では
まだ、母がどこかに生きていて

例えば
電話をすれば答えるとか
いつも住んでいる家の隣にまだいるような

そんな感覚のままでいて

肉体的にもう二度と会えなくなってしまったのだという認識を

私自身の忙しさとか
常に人に囲まれている状態でじっくりと感じる時間がなかったのではないか

そんなことに
その時、一人でいて気がついたのでした

そして、それにその時になって初めて
心の中で、そのことを認識するようになって

室生寺に向かう車の中でじわじわと悲しさが込み上げてきて
涙がぽろぽろと流れてきてしまったのです

いつもだったら、そのあとに家に帰るから
家に電話をして、母に、何時ごろに帰るとか
道の駅で何か野菜でも買って送ろうか?とか
聞いていたのだけれど
もう、そんな風に電話をしても、母は出ないし
子供たちのことを任せて安心だったという、その支えを失ったのだ

そんなことがじわじわと実感として認識されてきて

そんななかでの、室生寺、そして続いて訪れた龍鎮神社で
自分の内面を見直す感じになったのかもしれません

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