娘にも影響が出た:2020年8月4日

2021年のグリーフケア・アドバイザー1級取得にあたり、私自身が2020年8月末に母の突然の死を経験し、そのグリーフを抱えたままであったということがありました。
2020年7月8日朝、ゴミ出しで外に出て、転倒し、頭蓋骨骨折とくも膜下出血で緊急搬送され、1か月半の闘病生活ののち、享年87歳で亡くなりました。
Covidー19下。
その記録と私自身の心の動き、私の周りで起こっていたことなどを記録しています
(アメブロにリアルタイムで公開した日記を修正、内容に手を加えたうえで投稿しています)

2020年8月4日娘にも影響が出た。

この日、母の介護認定の方が病院に来て
その立ち会いをしました

その時、母の目は開いていたけれど
認識ができるかわからない
話せない
四肢が動かない、寝返りも打てない
嚥下もできない

そんな感じの状態で。

回復の見込みが難しい、そんな感じの状況を見て
そして、何よりも看護婦さんがとても親切で、母の状態が要介護認定になるように
積極的にできないことや回復が難しい状況をアピールしてくれたので
(本来だったら、そんなことはない、元気なのだと言いたいところだけれど、現実問題としては
要介護認定があるのとないのでは、負担が大きく変わったり、介護施設への優先順位も変るので重要な点だったりします)
大変ありがたかったのでした

しかし、それとは別に、この時期、娘のメンタルをめぐって別の事件が起こっていました
今だから書けることだけれど、娘は小学校5年の担任が差別的な指導が多く
担任に反発するような行動が多かったり、学校を休みがちだったりしたのですが
中学に入って、不登校が徐々にひどくなって
母が倒れたころにはほとんど学校に登校できなくなったり

家の中では

母の入院
姉との確執

があったので、非常に不穏な空気ではあり、誰もがピリピリしていたのではないかと思うのですが
そして、娘はおばあちゃん子でもあったので、母が倒れたショックというのは、もしかすると娘である私たち以上だったのかもしれないのですが

それに加えて、私の夫、つまり父親の口出しが、娘にはより害になってることを夫自身が全く認識してなくて
不登校の子に言ってはいけない

学校に行かなくてはいけない

に代表されるプレッシャーを与える言葉を多々かけていて
自殺未遂に発展して

もちろん、おそらく、娘は本当に死にたいと思っていたわけではなく
死にたいほどにつらいということを何とか、誰かにわかってほしいとか
そこから逃げたいとか、助けてほしいと思うような気持でやってしまったことなのかもしれないけれど

本当にその時には私自身も生きているのがつらいとか、眠れなくなるほどに追い詰められて感じたのでした。

よくスピリチュアルな世界では
何かがあると、自分の何かがそれを呼び寄せたとか
何か学びがあるとか
自分の課題とか
様々言うが

『なんか、私悪いことしましたか?』

と、何度も自問自答してしまい

色々考えてみたけど
理由など思い浮かぶはずはなく

きっと、スピリチュアルをかじって人生の困難にぶつかる人は同じことを考えてしまうのかもしれないけれど
確かに、何かある人もいるかもしれないけれど

そんなのはない人もいるだろうし

【すべて自己責任論】がどれだけ愛に欠けた考え方か、というのを感じもしました。

相談した友人には、私のせいではないと言われたけれど。

 

それでも思ったのは

私自身が死に惹かれている人間だから
私の回りに死がたくさんあるのかな、と。

私は自分の死を待ち望んでいる部分があって
やりたいことはほとんどやったし
この世に未練はないから
いつ死んでもよいと思っている

けれども
それだからこそ
私の回りに死がたくさん現れてくる

死を巡って
残された人の気持ちというのがあり

その想いを
私が死を望むとき
全く無視しているのかもしれない

だから、私にそれを気づかせるためにそれが重くのし掛かっているのかもしれない

私は私自身の死には頓着しないけれど

私以外の親しい人の死は耐え難いものがあるのだろうと思ったのです

例えば、今、私のガイドが不治の病に冒されて、死を前にしているとしたら
本当に私は見送れるのかと問われたら

魂が不滅ということを例えわかっていても
正直、自信はないと

ガイドに限らず

家族の誰が死んでも
私は耐えられないのだろうと思ったのです

なのに、私は、出来るだけ早く死にたいと思っている

ここに矛盾があり

私には誰かに
死ぬな
生きなくてはいけない
そんな風にいう権利はない

普段、死を近くに感じることはないけれど
私の回りには死を感じるものがたくさんあって

生きること
死ぬこと
なんでいきるのか
なぜ生きなくてはいけないのか

その回りにいる人々

それを想わずにはいられない状況でした

多分

これは私が経験しなくてはいけないことだったのでしょう

そんなことをその時は思っていました

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