親が子供に与えることのできるもの:2020年7月11日

2021年のグリーフケア・アドバイザー1級取得にあたり、私自身が2020年8月末に母の突然の死を経験し、そのグリーフを抱えたままであったということがありました。
2020年7月8日朝、ゴミ出しで外に出て、転倒し、頭蓋骨骨折とくも膜下出血で緊急搬送され、1か月半の闘病生活ののち、享年87歳で亡くなりました。
Covidー19下。
その記録と私自身の心の動き、私の周りで起こっていたことなどを記録しています
(アメブロにリアルタイムで公開した日記を修正、内容に手を加えたうえで投稿しています)

2020年7月11日親が子供に与えることができるもの

この時期、不眠になっており、ベットの中で浮かんできたことを書いたもの

随分前に、どこかで読んだ言葉。

【親が子供に与えることのできる最後で最大の贈り物は、自分の死である

それは子供にとっては、一生のうちでたった二度、父親と母親、それぞれが死ぬときにしか経験のできない出来事であり

子供は親の死を通して、生きることの大切さ
死を学び
そこから、成長する

だから、子供のために親にできることは
立派な死を見せることなのだ
(立派な死を見せるというのは、生き抜く、とか、どんな風に死を迎えるのかという姿勢のようなものであって
英雄的なものをいっているわけではない)

という趣旨だったと思う。

確かに、親が重篤な今、私の人生を作り上げてきた、母という存在がいなくなってしまう

そのことはとても大きいのだと認識するし

実はいうと、今、実家に二世帯住宅を建てて住んでいるが、要となっている母が亡くなってしまったならどうするのか
という問いが投げ掛けられている
(私はそれを予測していたので、母とそれを話したこともある)

母の死は私たちの人生を大きく変えるきっかけになる可能性がある

ただでさえ、親が昏睡状態でいつ急変してもおかしくない状況で

その非常事態で、どう考え、どう行動するのか

そこに今まで生きてきた人生が凝縮されて出てくるようにも思う

私は変に落ち着いて、理性的なのは
死に直面した、人の内面にどれだけ触れる生き方をしたことがあるのかという、部分にもあるのかもしれない

私は小学四年生の時に、父がガンで、肝臓が働かなくなって、脳に毒素が回り、錯乱して、おかしくなってゆくのを見たし
黄疸で全身がまっ黄色になり、足が象のようにあり得ないほどに浮腫むのも見た

それは、本当に衝撃的で、トラウマに近いものだった。

数年前には親しくしていた叔母二人もガンで、末期の痛みで苦しむ状態や、衰えて行く様
死を告知され苦悩し、絶望する姿を見てきた

友人三人ガンでなくなり
闘病中に話をしたり、次第に悪化して行く姿を見聞きしてきた。

大切な方を続けて二人亡くされた方と親しくなった
その方の悲しみ苦しみを何度も会って聞いていた、その方がある日、突然、命をたとうとした
幸い一命をとりとめたが
それも私にはショックだった

今、ブルース・モーエン・メソッドのトレーナーをしていて
ワークショップでは、大切な方を亡くされた方が見えられる。

きっと、普通よりも少し、死が身近だったのかもしれない。

死に接し、死について知ろうとした
その違いなのかもしれない

もちろん、私はスピリチュアルなことに興味を持っていたから

生きるとは、死ぬとは
とか
魂とは
とか

その真理を追い求めること
それが私のいきる目的なのだと思ってきたのもある

タイトルの言葉を聞いたとしても、一般的には
『そんな贈り物などほしくない
大切な人には、ずっといてほしい
いつまでも生きて、一緒にいてほしいんだ』

という想いを強く持つ人の方が多いだろうと思う。

確かにそれは皆が思うことなのだと思う
それを否定はしない

そんな風に思うのは自然と思う。

私も、漠然と、母がまだまだ元気に一緒にいてくれるものだと思っていた
何かのときに気軽に話をしたり、相談をできると思っていた。

だけど、私の頭のなかには、ガイドが言いそうな言葉がどうしても浮かんでくる

そんな風に考える私はおかしいんだろうか?

『人は本当に100才、200才まで生きるのが幸せなのだろうか?

もしも、病気も老いもなく、生き続けられるならば
まだいいのかもしれない
でも、(倒れた母には)病気や肉体の衰えを持ったまま年老い
寝たきりで生きる人生を真に幸せと思うだろうか

肉体を離れたら、そこには病気の苦しみも老いもない
先に死んだ親や姉妹や夫に再会する
そこで、心穏やかに過ごすことができるかもしれない

そして、いつかは私たちもそこに行く

それを、今、あなたが肉の体の中から見える世界の考えで
何よりあなたのエゴで
引き留めること
それは本当に相手の幸せなのか?』

誰かにいつまでもそこにいてほしい
そう思うのは
その人(誰か、親など)がそう思っている訳ではなく
いて欲しいと思っている人の願望や欲であって
旅立とうとしている人自身ではない

別に、その人が死ぬことを望んでいる訳じゃないし
生きたいと強く望む人もいるだろう

ただ、どんな関係にも
生きている限り
終わりは来る

人は誰かとの関係ができると
それが親しければ親しいほど
深ければ深いほど
それはずっと続くものだと思い込む

だけれど
生きて肉体を持つ以上
私たちの誰かとの関係は
どんな形であろうとも
終わりを迎える

さようならを言わなくてはいけないときが

誰との関係でも
必ず存在する

時が来た
別れが来た

ただそれだけなのだけれど
想いや、情が強く深いほど
それが耐えがたくなる

でも、
私たちはいつかは手放さなくてはいけない

自分の命を
自分の肉体を
自分の家族を
自分の家や財産を
自分の友人や社会的地位、名誉を

なにもかも、手放さなくてはいけない。
何一つ残らない。

たったひとつ、自分の魂に刻んだ生きた経験以外は。

親との別れ、というのは
それを間近に見るという経験に他ならない

そして、それに向けて、自分も日々、歩んでいる
それを知る、僅かな機会のひとつなのだと思う

私はどんな風に生きるんだろうか
何をもって行けるんだろうか?

最近、ある女性が

子供を産んだときに、自分の役割を終えたのだと感じた

と言ったという話を聞いた

女性だと、そんな感覚の人もいるかもしれないし
それを聞いて、私は鮭が産卵を終えて死んで行く風景を思い出した

命というのは大きな流れなのだと思う

私という存在はその大きな流れの中の一滴に過ぎない

母の死に行く姿を見ながら
(最初に、回復はかなり厳しいこと、回復したとしても、物事を認識する能力は失われている可能性が高いと告げられているので
期待はあまりしていない)

私はどんな風に死ぬのかを考えている。

私はどんな死を自分の子供に見せられるんだろう?

その経験が悲しく苦しいものであっても
それが子供たちに強さや優しさや愛や生き方を考える道しるべになれば
と思う

生きること、生き抜くことの大切さ、ありがたさを知ってくれたらと思う

きっと、母もそうなんじゃないだろうか。

生きている母はお世辞にもそういう殊勝な感じじゃないが

魂の状態の意識では
それに同意してくれるのではないかと思う

私はその母からの贈り物を
この瞬間にあって
きちんと受け取らなくてはいけない

そんな風に思う

それが私の覚悟とか
肝を据えるということなのだろうと思う

それが私の生きてきた道のひとつの現れであり
それが私がどう生きるのか
どう死ぬのかという
私自身の現れなのではないかと思う

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